違う「時間空間」を生きること――『トップをねらえ!』におけるウラシマ効果、その表象についての小考察

永遠の少女、大人になった少女との距離――「少女を仰ぎ見る」ことが示すもの

トップをねらえ!(以下『トップ1』と表記します)』5話前半において、地上に帰ってきたノリコは、かつて高校で同級生だった友人・キミコが大人になり、一児の母親になっているという現実に直面します。彼女は完全に少女から母親の思考に変わっており、ノリコのコネを使って自分の娘・タカミを地球脱出船(ヱルトリウム)に乗せてくれるよう依頼します。このエピソードによって、かつて「同じ時間」を生きていたはずの二人の少女は「永遠の少女」と「大人になった少女」に分断されてしまったことが示されます。
 そして、この時点までノリコと同じ時間を生きていたはずの「お姉さま」ことカズミ自身も、5話のミッション終了以後は地上で余命短いコーチに寄り添って彼を看取り、「大人になった少女」の側に入っていきます*1
 しかし、カズミが地上で生きていた間も、ノリコやユングは宇宙の最前線で戦闘を続けており、カズミが「大人になった少女」になってもなお、彼女たちは「永遠の少女」であり続けるのです。「永遠の少女」として戦闘を続ける、ということはすなわち、かつて同列だったはずの周囲の人々から遠く隔たった存在になることを示しています。そして、『トップ1』の世界観においては、「永遠の少年/少女」として戦闘を続けるということが一種のエリート性の証でもありました*2。更に、物理的な意味でも、地球からはるか遠く離れた宇宙で戦い続ける彼女たちは、「空のかなた」に実在しているのであり、地上から彼女たちを思う際は必然的に仰ぎ見る格好をとることになります。
 これらの事象から導けることは、外見年齢の差が彼女たちの「理想」の希求への切実さの隠喩になっていることです。そしてその切実さはすなわち「気高さ」ともリンクしています。内的な事象を表象のレイヤーで可視化する手腕の見事さは指摘するべきだと思います*3

モノクローム→カラーへの移行の問題

 先ほど指摘した「理想希求への切実さ=気高さ」がそれぞれの時間空間の違いと対応している、という点に関連して、6話の冒頭から使用されたモノクローム映像が表象するものについて考察を加えてみたいと思います。
 6話冒頭では、5話の戦闘以降、愛するコーチの最期に寄り添うために地上で生き続け、そのまま大人の女性になったカズミのエピソードが流れます。彼女は母校で生徒に慕われるコーチとなっていたのですが、最終決戦のために自ら志願します。カシハラの指摘するとおり、カズミは地上ではかなり充実した生活をすごしており、彼女を慕う少女も沢山います。それにも関わらず、無事に帰還できるかわからない最終決戦に敢えて志願したのは、かつて5話において、コーチへの愛のあまり作戦遂行中に弱気になった自分を奮い立たせたノリコとまた「同じ時間」を生きたいという願いがあったからだと推察されます。この作戦に志願すれば、ノリコのいる宇宙の最前線に行けることがわかっていたからです。
 そしてカズミは思惑通りノリコのいる最前線に赴きます。当初の作戦が失敗したことがわかった際に捨て身で作戦を決行しようとするノリコに対し、カズミはその道連れになることを選択し、ノリコと一緒に生還しようとする道を選びます。このカズミの立ち位置(=バスターマシンに搭乗すること)は、元々はこの時点までノリコと同じ時間を生き続けているユングのものでしたが、ユングがそれを譲ったというのも象徴的です。
 最終的に作戦は成功し、ノリコとカズミは地球へ帰還するのですが、最終的に1万2千年もの時間が経過していることが計器類のカットから読み取れます。つまり、戦闘当時を知る人間はノリコとカズミだけになり、なおかつ互いのことを知っているのは互いしかいないという状況であることを客観的情報として知らさることを通して、生き残った人類が彼女たちだけかもしれない、という絶望を感じた瞬間、画面は地球上に浮かび上がる「オカエリナサイ」のイルミネーションの主観カットに変わります。これによって、自分たちの行為が無駄にならなかったことを彼女たちは知ります。そして、今まで彼女たちを守ってきたガンバスターから離脱する彼女たちの赤い光、また、彼女たちが向かう先である地球の上のイルミネーションの暖かな光が、6話において初めてカラーで表現されます。
 このことから、6話におけるモノクローム映像は「ノリコとカズミの時間空間のズレ」の表象であり、また、カラー映像に切り替わったことは「ノリコとカズミの時間空間のズレが相対的に打ち消され*4、更に地上とズレ続けた時間空間を生きていた彼女たちがようやく地上の時間空間の中で生きられるようになった」ことの隠喩である可能性を導くことができます。前者については、カラー映像だった1〜5話・6話のラストでは常にノリコとカズミはほぼ同じ時間空間を生きていることや、モノクローム映像の開始箇所が、これまで同じ時間空間を生きていたノリコとカズミの時間空間が明確にズレたことが観客に初めて明示される瞬間である、ということを根拠にすることが出来ます。また、後者については、ガンバスターから離脱したカットはモノクロームで、ノリコとカズミが地球に降下し始めるカットがカラー映像になっている点がその根拠です。
 『トップ1』作中においては、時間空間のズレと、それに伴う外見年齢の変化が「理想に向かうための内的な気高さ」の度合いの違いともいえるので、かつてノリコが憧れ目標にし、そして世界一のパートナーでもあったカズミとの時間空間の「ズレ」はノリコとその他のキャラクターとの時間空間のズレとは決定的に違うものになります。そして、必然的にこの時間空間のズレとそれが内包するものを表象するために、今までよりも強度の高い表現手法を持ち込む必要があったと考えるのはそう突飛なことではないように思われます。

*1:この点については6話のアバンタイトルでのカズミの行動、沖女の校長となったカシハラとの会話で示されます。

*2:1話において、ノリコがパイロット候補に選出された際の周囲の反応、カシハラの憤慨振りを想起してください。

*3:類似の構造は『少女革命ウテナ』にも見出せるのですが、これについては別の機会に論じることにします。

*4:彼女たちはおよそ1万2千年前の人間ですから、地上の人々からしてみれば彼女たちそれぞれの10年程度の時間のズレは無視できる程度の差異になってしまっています。