『アニメーションの映画学』読みました
- 作者: 加藤幹郎
- 出版社/メーカー: 臨川書店
- 発売日: 2009/03
- メディア: 単行本
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結論から言うと、アニメについてちょっと何かを掘り下げて考えてみたい方には確実に役に立つ本です。
アニメーションの「表現論*1」寄り(正確に言うと映像理論ですね)の本格的な評論集はおそらく初めてだと思われるので、そちらの方面で興味がある方には特におすすめです。センセーショナルな要素を出来る限り排除した誠実な文体・内容は、今まで流通していたアニメ評論とは一線を画しています。学術的方法論に忠実な評論集ですが、文体は限りなく平易なので読みやすいですし、参考文献を追いかけていくと本格的な思索へのリファレンスになっている(ただ、網羅的ではないので少々の連想力が必要ですが……)点もいいと思います。
以下に、「導入」の一部を引用させていただきます。これによって、この本が目指すところがお分かりいただけるかと思います。
アニメーション映画は一般に子供向き表象媒体として、これまで長いあいだ、その芸術的、文化的、歴史的意味の研究がなおざりにされてきた。しかしながら実写映画が現実の人物や既成の事物や風景を被写体にすればすむのにたいして、アニメーションは被写体を一から造形しなければならない媒体である。その意味では、アニメーションのほうが一般的に加工度の高い映画である。それゆえアニメーションは通常の実写映画では不可能な表現領域の深化が可能となる。
本書では、実写映画では困難なアニメーションならではの表現領域の可能性を探求する。そのためにますアニメーション映画の理論的考察をおこない、ついでその実践例を検討し、さらにはジャパニメーションの映画史的、表現史的達成度をはかり、最終的にアニメーションの技術論と美学の融合をめざしている。
(加藤幹郎編、『アニメーションの映画学』、臨川書店、2009年、6ページより)
評論は6編収められており、それぞれが章として独立しています。以下におおよその内容と、個人的に面白かったポイントを記しておきますが、具体的な論理展開については、是非実物を購入して確認していただきたいと思います。
第一章:「<原形質>の吸引力 エイゼンシテインのマンガアニメーション理論」
その名の通り、映画界の巨匠エイゼンシテインがディズニーのアニメーション映画に言及した各種草稿を吟味し、アニメーション一般に通じる魅力の本質としての「原形質*2」という概念を軸にして、更に「原形質」の発展形としての「触手のモチーフ」という概念を提唱しています。
この論は、いわゆる「作画ファン」がアニメーションの動きに惹かれる原因の一つを的確に指摘しています。そして、「原形質」や「触手のモチーフ」という語は、いままで説明する概念をもたなかったゆえに、ファンの内部で閉じられてしまっていた感覚を「作画ファン」の外へ共有する契機になり得ると思います。
第二章:「柔らかな世界 ライアン・ラーキン、そしてアニメーションの原形質的な可能性について」
ライアン・ラーキンというアニメーション作家の作品分析を通して、アニメーションという技術が潜在的に持つ、現実の各種法則や表現形式などをどこまでも自由に変形させることの出来る「原形質的な可能性」について明確に記述しています。ここにも、「アニメーションを見て『楽しい』と思う理由」が提示されています。そして同時に、第一章で提示されたエイゼンシテインのディズニー賛美についての批判も展開されています。
第三章:「風景の実存 新海誠アニメーション映画におけるクラウドスケイプ」
従来実写映画においても十分に議論されていない風景論を軸にしています。そして、新海誠の各種アニメーション作品におけるきめ細やかな風景描写の秀逸さが作品の構造にどれほど大きく影響を与え、そのことによって、実写映画でも十分になしえなかった風景の実存を可能にしたかという点について論じています。特に、『ほしのこえ』におけるマニエリスムが物語構造と不可分であることや、それを用いる戦略的側面の指摘が非常に興味深かったです。
ちなみに、この論のおかげで、私自身の新海作品への心理的嫌悪感は相当軽減されました。
第四章:「複数形で見ること 商業アニメのメディアミックスのとらえ方」
『ほしのこえ』と『新世紀エヴァンゲリオン』を例にとって、各種媒体の「作品」に共通する「物語世界」の分析を行い、一つの作品に並行して存在する物語世界を無理に単一化するのではなく、互いの物語世界の生成・対立の瞬間を捉えようとする試みがなされます。そして、その試みによって、『新世紀エヴァンゲリオン』読解の新たな可能性を拓いている点が興味深いです。
第五章:「ミッキー・マウスの息吹を計ること 計量アニメーション学の試み」
初期の海外のアニメーション映画を題材にして、数値を導入することで映画スタイルの変遷を客観的に記述する試みを記しています。この論で紹介される手法は、日本のアニメーションの表現論・作家論を考える時にも大いに参考になると思います。